何を書いても構いませんので@生活板 43
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何を書いても構いませんので
444: 名無しさん@おーぷん 2017/04/24(月)20:21:59 ID:OUO
小学校時代に、「戦争体験談をおじいちゃんおばあちゃんに聞いてくる」という宿題が出た。
で、少女時代を満州で過ごして引き揚げ体験もある父方祖母に聞き取りをした。ちなみに祖母は終戦時の年齢は10歳。
渡満したと言っても開拓団でも商人でもなく、満鉄社員の父親に連れられて家族で海外赴任していた。
満州の都市圏に住んでいたので百貨店も写真店も映画館もあって娯楽には困らなかった。
物資不足で食糧難の本土よりずっといい生活していたらしい。空襲もないし。
ソ連が侵攻してきた時も港行の避難列車に満鉄社員の家族として優先的に乗せてもらい、余裕をもって日本に帰れたそうだ。


445: 名無しさん@おーぷん 2017/04/24(月)20:22:56 ID:OUO
両親に連れられて鉄道が待っている駅に到着したら自分達よりずっと先に駅に到着して電車を待っている町人や開拓団の農民達が団子になっていた。
上等のワンピースにペチコートを羽織り、ピカピカの靴を履いていた祖母と異なり、皆服装はみすぼらしく、荷物は粗末なリュックや風呂敷のみ。農民は皆真っ黒で性別が判別できない。
靴もぼろで地元の満州人と変わらない貧相な姿だった。貧民の存在を知らなかった祖母にはショックだった。
当時の高級ブランド服を身にまとい、ぜいたく品をたっぷりトランクに詰めていた満鉄社員と家族達は駅構内で対峙した「貧乏人の群れ」から襲われるんじゃないかと戦々恐々していた。
曾祖母は「あの汚い人達に近寄っちゃ駄目よ」と祖母に言い聞かせた

446: 名無しさん@おーぷん 2017/04/24(月)20:24:27 ID:OUO
やがて駅構内に満鉄社員脱出用の車両が入構し、満鉄社員と親類のみが乗車した。恨みの視線を浴びながら祖母達も乗車した。
曾祖父母に手を引かれて窓際の席に腰を落ち着けた祖母が窓の外に目をやった。
車外では列車に乗せてもらえなかった群衆が窓際に並び、社内の祖母達を怒りと怨嗟の表情で見つめていた。
祖母が目をそらそうとした瞬間、祖母をじっ見つめていた若い女性と目があった。
その女性は他の群衆と異なる、懇願するような表情とを浮かべている。女性の視線は祖母が胸に抱いていた抱っこちゃん人形に注がれていた。
抱っこちゃん人形は級長になったご褒美に百貨店で買ってもらえた赤ん坊等身大のサイズの高価な人形で、絹のベビードレスとレースのキャップを被っていた。

448: 446 2017/04/24(月)20:26:08 ID:OUO
大人が何故人形をほしがるのか訝しみ、女性を注視すると、彼女は赤ん坊を抱えていた。子供なのか妹弟なのか親類なのかまではわからない。
ぼさぼさ頭に真っ黒に日焼けした風体から女性は恐らく開拓団だったろう。
その女性の胸に抱かれた赤ん坊はぼろぼろの産着に包まれて祖母の人形に比べるとあまりに貧弱だった。
ふいに祖母は悟った。この女性は祖母に抱っこちゃん人形の代わりに自分の赤ん坊を日本に連れ帰ってほしいのだ。
曾祖母にあの人の赤ん坊だけでも連れ帰っていいか聞いてみたかった。いや、さっさと窓を開けて女性から赤ん坊をもらってしまおうか?
女性の名前と日本に住んでいる親戚の住所と名前を教えてもらって、帰国後に赤ん坊を女性の親類の家に預ければ良い。

449: 448 2017/04/24(月)20:27:58 ID:OUO
・・・でも窓を開けたらホームにたむろしている避難民達が乗り込もうとしてくるかも知れない。
それに祖母が赤ん坊を受け取ったら他の避難民も自分の赤子を引き取ってくれと主張して、パニックになるかも。
祖母は窓枠に手をかけたまま、硬直してしまった。その女性と見つめあったまま・・・。どれだけの時間が過ぎたのか、やがて列車は動き出してしまった。
祖母は凄絶な虚脱感と自責の念と後悔、そしてわずかな安堵で胸がいっぱいになり車両で号泣してしまった。
異常が祖母の体験談。とてもじゃないが重すぎて宿題としては提出できなかった。満州で過ごしたけど無事帰国できましたとだけ書いて提出した。
後日、視聴覚室で戦争体験談が発表された。空襲がほとんどないような田舎だったからか悲惨な体験談は多くなかったものの
ごくまれに朝鮮に行って曾祖母がソ連兵に連れ去られ行方不明になったとか東京に嫁いだ祖母の姉が大空襲でタヒんだとか祖父の兄が戦タヒしたとか苛烈な体験談もあり、聞く度に祖母の話を胸にとどめておいてよかったと思った。
戦争の悲惨さと言うより「命は平等でない」「タヒは不条理」「子供は無力」だということを学べた体験だった。